情報協力

別班は部内で「ムサシ機関」と呼ばれ、在日米陸軍の情報部門と秘密裏に連携した。

平城氏によると、情報協力をめぐって在日米軍の情報部門と陸幕第2部との協定が結ばれて米側との共同機関が創設され、56年から米軍の指導のもとで情報専門家を育成する訓練が始まった。

米軍がもっていた偽装の仕方や人的情報の集め方などの基本ノウハウを身につけたという。

拠点は東京郊外にあった米軍施設のキャンプ・ドレイク(現・朝霞駐屯地)。ここに米側の情報部門「500MIグループ」があり、 61年、さらに共同責任で合同工作を行うことでも合意、62年から実践活動に移行したという。

「日系の米側将校と意思疎通を図るため、慣れないゴルフを一緒に重ねた」と話す。
日米ともに要員は15人前後。国内で写真店や小さな商社などを経営して、中ソや北朝鮮、北ベトナムなどに出入りする日本の商社員や漁業関係者などに接近し、日本への敵対行為の兆候などがないか情報収集をしたという。

例えば、シベリア抑留者の現地墓参団の参加者に関係者を装って近づき、ソ連国内の写真撮影や地図の入手などを依頼した。

また将来は、海外に住む日本人らの間に「独自の情報源と連絡網を作ることを目指していた」という。

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